2023/12/01
苦行再考
先に苦行をテーマにしましたが、決して苦行を否定するものではありません。無意味な苦行や規則が目につき、本質をよく考えたいという趣旨です。不合理な規則の場合、規制する側がその権威を高めるか、自己満足か、憂さ晴らしが目的だったりします。無駄でない苦行も。例えば悟りを目的の行。苦行によって雑念を捨て去り、心が自由になることで悟りの境地に達する方法です。悟りは体験して初めて会得することができるもので、聞いたり読んだりの知識では到達できない境地です。雑念が払われる以外にも、苦行で脳内に放出されるドパミン、セロトニン、ノルアドレナリンなどの不安軽減、情動活性化物質や苦痛を抑えるカンナビノイドが陶酔郷を見せているかもしれません。メカニズムはともかく、生気と輝きに満ち、心安らぐ世界、宇宙、万物との一体性を感じさせる世界が瞬時に広がる点が、共通しているようです。英語ではenlightenment。輝きを感じる体験。脳科学者としては、もともと人間、生物の脳にプログラムされている感覚が執着が無くなることで解発されるのではないかと感じています。そうすると、神様はすべての人の中、中枢神経系を有する生物の中に在ることになります。
似た現象は臨死体験でも報告されています。臨死体験はキュブラー=ロスの著書「死ぬ瞬間」で注目されえるようになりましたね。しばしば共通して心の安らぎと静けさ、安堵感が報告されています。トンネルを抜けると死んだ親族やその他の人々が迎えてくれるようです。日本ならトンネルの代わりに三途の川でしょうか。その向こうで光る生命体に邂逅する訳です。私も何人か、生還した人の話しを伺いましたが、明るい、安らぎの世界は皆一致しています。天国ですね。トンネルや川は別として、悟りで語られる安寧の境地と似ているように思えます。臨死状態を究極の苦行と考えれば、共通性があることも納得てきるかもしれません。ところで、暗くて熱い地獄還りの話は聞きません。地獄は一旦覗くと決して引き返せないのか、あるいは脳にプログラムされていない単なる空想の世界なのか。いずれにせよ、地獄行きの所業は慎みましょう。
最近、同世代知人女性が手術中に臨死状態となり、幸い無事回復されました。よかった。そして、生還後の談話を聞く機会がありました。関心は、明るい安らぎの光の中で誰かがが迎えてくれたかどうか、それが若い男性だったかどうかです。記憶にありません・・・。死に方が足りなかったのか、天国に拒否されたのか。臨死状態で出会う人=神かその下僕、臨死者が男の場合のお迎えは麗しい女性、女の場合はりりしく若い男性、はたまた西洋の天使の如くLGBTQに配慮した中性なのか、実体のないガスか霧のようなものなのか?犬が臨死体験した場合、神は犬の姿なのか、カエルだったらどうなのか???疑問は尽きません。もう一度死にかけたらもっとよく観察するよう知人に伝えておきますね。
なお、断食やマラソンもある意味苦行で、精神的な高みが体験できるかもしれません。断食しながら自分を見つめなおすと、より内省が深まるとして絶食内観が試みられています。ランナーズハイは有名ですが、依存して走り過ぎ、膝や足を痛めないよう注意が必要です。痛みが強いと気力が萎え、苦痛の前には折角の悟りも醒めてしまいます。