岡山市中区江崎の岡山脳神経内科クリニック|脳神経内科・内科

〒702-8005
岡山県岡山市中区江崎104番地-16

MENU

かぐや姫の憂鬱

先に浦島太郎の話題を掲載しましたら、いろいろ反響がありました。さすが我が国を代表する古典。皆が関心を持っている物語ということです。タイやヒラメの舞い踊りについては、“実に見事で素晴らしい”というダイバーさんの声。私が潜れば、楽しむ前に窒息して極楽行き?です。かぐや姫も載せないと不公平だと言う声もありました。ジェンダーギャップの問題なのか?

かぐや姫は、竹取物語の主人公です。平安時代の物語。月の世界の住人、天上人として生まれ、何かの罪で、地球に星流しとなりました。月の住人からみると、地球は月よりもひどい所という認識ですね。月はそよ風も緑もビーチも青空も無い穴ぼこだらけの岩塊に見えますが、ウサギやヒキガエルが居るなど、感じ方は人それぞれです。

このかぐや姫、地球上では日本国の竹の中から登場し、わずか3か月で成人化。たぐいまれな美しい女性に成長しました。男性は「気が優しくて力持ち」、女性は「絵にも描けない美しさ」というステレオタイプ。美しければすべてが許されるというルッキズム、外見至上主義の権化ですナ。シンデレラだって、心優しく美しい女性ゆえに嫉妬深い意地悪な義姉に打ち勝って凛々しい王子様に迎えられ、ハッピーエンドとなりました。人格もさることながら、外見重視、王子様に迎えられるのを持って、女性の幸せと強調している。女性の自立とか、自己実現の視点がありません。人種差別、障害者差別、いじめ等と共通する問題をはらんでいるかもしれません。かつては身体が大きいのを良しとする健康優良児の表彰とかもあった。体が大きければ優秀、健康というステレオタイプ。小学校時代、私の指定席は小さい方から2番目だったヨ。一方で、現実社会では外見が仕事や学業への評価や配偶者探しに有利という現実があります。3高とかいう言葉もありました。美容整形がはやりそうです。なお、私のパソコンでは、何度変換しても「おおじさま」は「王子様」でなく「おオジサマ」です。オジサマに迎えられるのはパパ活です。最新の変換AIが入っているのか、怖いです。尤も、誰からも見向きされない容貌では、竹取物語のストーリーが次に進みません。「40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」という、第16 代アメリカ合衆国大統領のエイブラハム・リンカーンの言葉がありますが、これは別の意味。人生に真摯に向かい合って生きる人の顔には、それなりの輝き、迫力、人格が滲み出るということかと思います。これは外見至上主義とは一線を画しております。表面的整形の限界です。

回り道が過ぎました。結局、かぐや姫は“美しい”というだけの理由?で5人の貴公子から求婚されました。そこで、この5人に無理難題の課題を提示します。月に帰る予定があるために、結婚をあきらめさせるよう実現不能な要求をしたのでしょうか。結婚する気がないなら、きっぱりお断りするのが親切だと思うのですが、それでは物語が続きません。もしかすると酸素のない月の住人なので、本当は鼻がなく、口はおなか辺りにあるのかも。湿度0%の世界なので、皮膚だって潤いなく、岩のようにごつごつかも。触られるとバレてしまいます。宇宙人ですから、地球的な雌雄の区別があるかどうかも怪しいものです。幻想を残したまま消え去ろうとしたのなら、少しは優しさがあるのかもしれません。少なくとも、駆け引きして、最終的に何か利得を得ようとするdealではなさそうです。

 考えるほどに矛盾が膨らむ複雑怪奇。結論から言うと、昔話に社会的公平や正義を求めてはいけません。読む人の感性次第、価値や解釈がどうであろうとOK。単純に文脈を楽しめば良いということです。物語の美女はいつも慎ましやかで優しいかもしれませんが、現実の美女は自己中心的で周囲を振り回わしたり、我儘者だったり、ヒステリー系に育っているかもしれません。ちやほやされて育つと、ブレーキをかけてくれる人が少なくなるので。尤も、かぐや姫は人格が確立した後に、罪人として地球人の赤ちゃんにされたので、その限りではありません。